1980-11-06 第93回国会 参議院 社会労働委員会 第5号
まず最初に、前回昭和電工大町工場それから塩尻工場において、じん肺の管理区分別の人数を答えられましたが、その数に対する評価といいますか、全体的に見てどうとらえますかという点についてのお答えがなかったので、その点からお答えをしていただきたい。
まず最初に、前回昭和電工大町工場それから塩尻工場において、じん肺の管理区分別の人数を答えられましたが、その数に対する評価といいますか、全体的に見てどうとらえますかという点についてのお答えがなかったので、その点からお答えをしていただきたい。
時点は、五十四年末の時点でようございますか――昨年の十二月三十一日の大町工場、塩尻工場のじん肺検診の実施結果からいたしますと、大町工場が八百六十六人につきましてじん肺検診を行っておりまして、管理区分一の者が六百五十九人、管理区分二の者が二百一人、それから管理区分の三はイとロに分かれておりまして、管理三のイの者が五人、ロの者が一人、管理四の者は該当ございません。
○小平芳平君 次に、労災について質問いたしますが、労災についてまずこの当委員会でかつて何回も問題提起した昭和電工塩尻工場と昭和電工大町工場におけるじん肺の管理区分別の認定患者数、そういうことについてわかっておりましたらお答え願いたい。
○政府委員(倉橋義定君) 御指摘のありました昭和電工大町工場と塩尻工場の労働者につきまして、現在じん肺によりまして労災保険給付を受けている者は大町工場につきまして五名、塩尻工場におきまして三名でございます。
それからいまお挙げになりました昭和電工塩尻工場でございますが、これは戦後において三十年から四十五年まで約十五年間いわゆるフェロクロムという三価のクロムを材料として鉄と合金させるものでございますが、これを中心とした製品の製造を行っておるわけでございまして、労働省としては従来から作業環境の改善、特殊健康診断の実施等を行ってきましたが、特に昨年六価クロム問題というものが起こったので特殊健康診断等も実施をいたしました
それで、時間になりましたので最後に、前回、昭和電工大町工場でじん肺が多発しているという疑い、九割の人がじん肺の疑いを持たれたというそういうことについて問題を提起いたしましたが、同じく昭和電工今度は塩尻工場の方です。塩尻工場の方ではクロムがすごく多いわけです。
○小平芳平君 私は長野県にある昭和電工塩尻工場の従業員の労働災害、それから周辺の環境汚染、それから周辺の環境汚染による健康被害等について質問をいたします。 この塩尻工場の問題はすでに何回か私は当委員会で取り上げてまいりましたし、またきょうもこうした一地域の、一工場の公害問題を取り上げるという趣旨は、それは被害者同盟あるいは信州大学その他の調査研究が発表されますとすぐ会社から反論が出るわけです。
○国務大臣(小沢辰男君) やはりこの大気汚染環境対策調査委員会をどうしても指導いたしまして、ここを中心にしまして全面的にいろいろ予想される地域の土壌問題なり、その他できるだけひとつ調査をやっていくということと、それから先ほど言いました岡山大、信州大、塩尻工場の三者でクロスチェックをやっておりますので、同一検体についてもやっておりますから、それらの結果が近くまとまるように聞いております。
○説明員(島田仁君) この昭電塩尻工場は昭和四十五年までフェロクロムの生産をやっておりましたけれども、それ以降この生産を中止しておりまして、現在は金属のシリコンと、それから研摩材、研削材というのですか、それをやっております。したがって、現在においては、この汚染源になるようなクロムについての生産は一切やっておりません。したがって、現在問題になってるものは昭和四十五年に至るまでの間のものかと思います。
長野県にある昭和電工塩尻工場で、現地の被害者同盟の方たちが中心になって調査した結果があります。それは新聞にも報道されましたが、昭和三十六年から四十五年ころまでの十年間に、周辺地域で死亡された住民のうち、肺がん七人、胃、肝臓、子宮がん十二人の計十九人があります。全く同じ時期に昭和電工の従業員あるいは元従業員で肺がん三人、胃、眼、肝臓がん七人の計十人が死亡しております。
○説明員(長橋尚君) 昭和電工塩尻工場の粉じんにつきましては、先般先生現地で御視察いただきましたあとでございますけれども、通産省からも指示いたしまして、とりあえずの措置といたしまして、会社に周辺の屋根の上の粉じんを採取させました。一応分析をさせたわけでございます。御指摘のように、亜鉛につきましては、トタン屋根の関係で腐食した亜鉛が出ておったのかもしれませんが、万台の数字が出たわけでございます。
これはあとにしまして、もう一つ今度は通産省にお尋ねしますが、昭和電工塩尻工場、この昭和電工塩尻工場が、またこれ何百メーターから一キロくらいにわたって、猛烈な粉じんをはき出す。これは昭和八年以来地元の人がどれだけ生活に被害を受けているかもわからない。それで一晩車をとめておいても、屋根からはき集めるほどの粉じんが出る。あるいは窓を締めて、戸を締めておいても部屋の中ははき集めるほどの粉じんが出る。
その他電気料金の問題につきましては、昭和電工の富山工場と、同じく昭和電工塩尻工場とを比較して見ますると、富山のほうが料金が高くなるような結果になる、これでは非常に不合理であるという意見でありました。例えば九州の火力料金は五円五十銭で、北陸は九円九十銭でありまするから、火力を二五%以上使用するとなれば、北陸はキロワツト・アワー当り平均料金は九州よりも高くなるような状態になるという説明でございました。
長野縣の塩尻工場におきましては戰前は切削材を主としてつくつておりまして工具その他の切削材として役立つておりました。埼玉縣の秩父工場におきましてはフエロクロームを主としてつくつております。同じような工場を北海道の旭川に持ちまして、これはわずか二三十トンつくつただけで終戰になつたような次第であります。そのほか長野縣の松本工場におきましては純粋の電解鉄をつくつておりまとた。